松屋利右衛門について

松屋利右衛門

 13代利右衛門でございます。
この度、私ども、松屋利右衛門は、2017年2月1日より、かねてより商品開発を進めていました 新商品を含め、私共の鶏卵素麺を、新しくご提供させていただくことになりました。
「鶏卵素麺」は江戸時代より松屋利右衛門の看板商品として代々作らせて頂いておりますが、 更なる品質向上の試作が実り、ようやく私共がご提供したい御菓子のお味、形にたどり着きました。
 松屋利右衛門 鶏卵素麺の新作として「鶏卵素麺 ひねり」を販売させていただきます。 今までの鶏卵素麺より更に、最高級品質の鶏卵素麺を作る為、一から材料を見直し、手間隙を 惜しまず作り上げました。形も一口から二口でお召し上がりいただける様工夫を致しました。
パッケージもそれぞれ個包装となっております。今までの「鶏卵素麺 たばね」も品質の向上に合わせ、パッケージを個包装させて頂きました。
 11代利右衛門より続く「鶏卵素麺 たばね」は、口の中でほどけるような食感と甘みの奥にある 風味高い卵の美味しさをご堪能いただけます。
 新商品「鶏卵素麺 ひねり」は「鶏卵素麺 ひねり」は、鶏卵素麺の濃厚な美味しさをそのままに カットせずに食べられる手軽さが魅力の新しい鶏卵素麺です。
 定番より更に上の品質に生まれ変わった、新「鶏卵素麺」、お試しいただければ幸いです。 今後も引き続き品質向上の努力は怠らず、また、お客様に真にお喜びいただけるお菓子を作ってまいります。今後共、ご贔屓を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。


松屋利右衛門と鶏卵素麺

時は江戸。今より340 有余年の昔、ポルトガル伝来の南蛮菓子の中にフィオス ・デ ・オーヴォス(卵の糸と言う意味)がありました。材料は卵黄と砂糖のみ。その見た目も鮮やかな卵菓子に惚れ込み、初めて日本で作り「鶏卵素麺」と名付け広めたのが、初代 利右衛門です。

福岡藩と鶏卵素麺

福岡藩御用商人の大番頭であった利右衛門は、3代藩主、黒田光之公に鶏卵素麺を献上したところ、大変喜ばれ、また、時の将軍、徳川家綱にまで献上されたといいます。そして、延宝元年(1673年)福岡藩黒田光之公の命により利右衛門は、福岡藩御用菓子司 松屋利右衛門と相成りました。
時は流れ、金沢の「長生殿」、長岡の「越乃雪」と名を連ね、「松屋利右衛門の鶏卵素麺」は日本三大銘菓と呼ばれるようになりました。

鶏卵素麺はシンプル、だからこそ奥が深い。

鶏卵素麺の材料はシンプルです。シンプルなだけに、これでもか、これでもかと手間暇を惜しまずに作ります。そのひと手間、ひと手間が鶏卵素麺を奥深いお菓子に仕上げるのです。
基本の手順を守りながら、新たな手間暇の技術を加えていく。
伝統菓子の面白さです。

松屋利右衛門、一子相伝の思い

お客様から、「変わらない味で美味しかったよ」とお声をいただく事がございます。また、「以前の鶏卵素麺より美味しくなったね」とも仰っていただきます。ともすると矛盾するこのどちらのお声も頂けるように精進する事が、私ども松屋利右衛門にとって、とても大切なテーマなのです。
時代は変わり、材料も職人も移り行きます。その中だからこそ、「昔、変わらぬ、懐かしいと思っていただけるお味」、「今、新鮮な驚きを感じていただけるお味」どちらも大切に守り続けること、初代から続く、松屋利右衛門、一子相伝の思いです。

沿革

1673年12月(延宝元年)
初代 松屋利右衛門、長崎・平戸で、ポルトガル菓子「フィオス・デ・オーヴォスFios de Ovos(Fios:糸、Ovos:卵)」の製法を学び、福岡・博多で南蛮菓子「鶏卵素麺」として販売する。当時の福岡藩 藩主 黒田光之(みつゆき)に献上したところ大変喜ばれ、黒田家家紋・藤巴の使用を許され、御用菓子司に任命された。
1957年05月(昭和32年)
11代松江利右衛門、戦後以降、福岡県福岡市博多区綱場町より福岡県福岡市博多区上川端町に移転し、有限会社松屋菓子舗を設立。
1992年06月(平成04年)
工場を福岡県福岡市城南区鳥飼より現在の福岡県福岡市西区橋本に、松屋橋本工場として新築移転。橋本店(直営店)を橋本工場敷地内に開店。
1996年04月(平成04年)
有限会社より株式会社に組織変更
2012年06月(平成24年)
上川端本店を改装、本店内に飲食部門 salon de RIEMON(サロン・ド・リエモン)を開店。
2012年11月(平成24年)
全店舗閉店、並びに上川端本社、橋本工場を閉鎖。松屋菓子舗全事業を停止。
2013年05月(平成25年)
屋号を松屋利右衛門と改め、鶏卵素麺専門店として福岡県福岡市中央区古小烏町に工房を設立。
2013年10月(平成25年)
工房を福岡県福岡市中央区古小烏町より、現在の福岡県福岡市中央区桜坂に移転。